茂木健一郎『「書く」習慣で脳は本気になる』より

茂木健一郎『「書く」習慣で脳は本気になる なぜ言葉にすると夢は実現するのか』(廣済堂出版, 2019年4月10日 第1版第1刷, ISBN978-4-331-52219-6)

古本屋の棚でこの本の表題を見て、主題の部分に感じるものがあったので手に取ってみた。購入後自分の興味を引いた表題の部分に対応した記述を本文から探した結果見つけたのがこのような箇所だ。

人間の脳は、確実なものと不確実なもののポートフォリオ(組み合わせ)のバランスを取ろうとします。そのときに、確実なものが多ければ、それだけ不確実なものを積み増せることになります。
(中略)
人間は、文字を発明してそれを書いていくことで、脳の外に「文字」という固定点をつくることに成功しました。文字を書いて記憶を固定させていくことで確実なものをどんどん増やしてきたといえます。その分、不確実なものも積み増していくことができました。

(同書 pp.68-70)

実は脳の中の記憶のワーキングメモリーはとても小さな容量しかありません。「勉強した」充実感は一時的に脳に満足を与えますが、それすらも時間がたてば脳はすぐに忘れてしまいます。

(中略)

脳の記憶システムの限界を超えるためには、記録しかありません。記録することだけが本気モードを継続させることに役立つのです。

(同書 p.71)

前提として、茂木健一郎氏はこのように考えている。「人間の脳は我々が思っている以上に怠惰で『楽をしよう、楽をしよう』と思ってしまう」。脳は二十四時間休まずに活動するという意味では働き者だが、それに合わせて体も活動させると体が参ってしまうので、普段はアイドリング状態になっている。「脳が怠けているからこそ人間はリラックスすることも休息することもできる」。しかしそのままでは勉強や仕事で成果を出すことはできない。ではどうすれば怠け者の脳を本気にさせることができるのか。それは「書く」ことを習慣にすることだ。(同書 pp.4-6)と。

「確実なもの」を多く持っている人はその分だけ多くの「不確実なもの」を積み増すことができるという主張について肯定的に感じてはいるが、理解が足りないせいか、よくわからない部分があってモヤモヤしている。とはいえ、書くことで人は経験したこと・考えたこと等の記憶を自分の脳の外に積み増してゆくことができるようになるという指摘については、その通りだと思う。

以下の引用文は上記の議論の流れの中で出てきた話だ。この本に「はてな」とブログが出てきたのは、「はてな」でブログを始めたばかりの私にとっては思わぬことだった。こんな偶然もあるのだなと思ったくらいだ。ここで引用する部分と同じようなことを、私自身もブログを始めるにあたって考えていたことがあるのだ。

はてな」というインターネットの会社の人に聞いたことですが、人事採用するときに、ブログを持っている人がいたら事前にそのブログを見るそうです。ブログを見れば、面接で一〇分ぐらいしゃべるのでは分からないような人間性やその人の活動内容や人柄、スキルまでわかってしまうそうです。

(中略)

そういう意味では、いまやインターネット上でブログを書くということはその人の社会的な評価に直結します。文字を書くことは、自分が書いたものが自分にとってのキャピタルになるということです。

(中略)

逆に言うと、キャピタルのない人は「その日暮らし」になってしまう可能性があります。

(中略)

キャピタルがあるということは、お金があるから生活が楽になるという意味ではありません。それを元手にして、さらに新しいことや、やりたかったことに挑戦することができるということ。自分にどれくらいのキャピタルがあるかによって、新しいことに挑戦するときの幅が狭くも広くもなったりします。

(同書 pp.75-77)

ブログに書き溜めたものは自分や自分の能力そのものではなく自分の活動の結果なので、ブログをキャピタル(資本)に例えるのはしっくりこない。むしろそれは資産と呼ぶべきものではないか。私としては、自分のブログという資産を育ててゆく過程で、資本つまり自分や自分の能力も強化できれば良いなと思っている。

ブログ開設後1か月半の時点で記事はわずかに2つ。私のブログにアクセスしている人は自分自身以外ほぼいない状況だが、記事がある程度たまるまで誰にも宣伝するつもりはない。変に思われるかもしれないが、このようなブログをそのまま誰かに見せるのは自分の中身も貧しく見せるようなものだとも考えてしまったのだ。